なぞの悲しみ
なんか、よくわからない。
よくわからなかった。
少なくとも精神的には辛いことなんてない気がするのだけども。
この悲しみはなんだろか、なんも失っていないのに、通り雨みたいに何も手につかない数分がある、以前の自分ならこういうときとっくにピアノを弾いて録ってたと思うと退化したのを実感してさらにやられる。。ω。
— ねおそるど (@expressione) May 16, 2018
本当にやばい状態に陥ってる人は、そもそも誰かに愚痴ったり
ブログで脳内を長々とまとめるような気力を持ち合わせられない。
それをやっている時点で私にはまだ余裕があるし、
ウダウダ不満言ってても楽しくやってる成分はとてもある。
夜遅くじゃなくて、14~16時ぐらいで帰る日のがもちろん多いし、
そのときには自分の好きな惣菜を買ってラクして晩飯食べたり、
値引きの食材で簡単に調理したりして好きなものを食べてるし、
外食したいと思ったときには好きにラーメン屋に突撃したりできる
(楽しみがやたら食い物のことばかりだな。)
し、知り合いから飲み会の誘いがあったら飛んでいってしまうし、
彼氏の家にいこうと思えば行ったりしてる。
休みの日じゃなくても、残った時間でそんぐらいのことはできる。
そしてさっきもツイートで書いたけど、人間関係での抑圧感を全く受けてないし、
昔に比べたら、色んな人にかなり気を配られてると思うし、
逆に自分も出来る限り協力的に過ごそうかなって心構えでいる。
これまでは、「黙々と反発しない従順な駒でいることしか存在価値ない」という
歪んだ感じの消極的マインドのせいで協力的に過ごしてたのだけど、
現在は単純に「体力のある自分が助け船出したろかな」みたいな思考でやってるので
メンタルの分部としてはむしろ正常化というか、だいぶ開放的になってきてる自覚もある。
話せる人とは、延々しゃべくりながら仕事してるし、正直今までは在り得なかった。
きっと今の職場のひとたちのおかげで、だいぶ前向きに生きてる。
時間が長い日や休みが少ない状況には確かにブーブー言ってるけど
それが解決したなら「(少なくとも今は)幸せかもしれない」って思える足場に立っている。
だから何が悲しいのかわからない。
PCの前で「なんでだろ!?」って言いながら泣き、
シャワー浴びながらも「なんでだろ!?」って言いながら泣いてた。
傍からみなくてもおかしい。そのくせ深刻さは全くない。
罪なチーズケーキを夜分に食っちまったぜぐらいの軽さで泣いている。
(念のため、生理時期はまだ遠いです、毎回ズレる人だからアテになんないけど。)
ただキッカケが、TLで流れてきた素敵な音楽を聴いてしまったことだったので
「ああそういえば、こんなふうになりたかったんだっけな」みたいな感じではあった。
外を飛び歩く時間があるから実は曲作り自体は出来るんだろうけど、
なんとなくスイッチが入らないまま月日が流れている。
そのことを惜しいと思う気持ちはやっぱりもちろんある。
あとは、オカンのことがやたら気にかかることが多く、それも涙腺に拍車かけてる。
寂しいとかじゃなくて、あんな地獄みたいなとこに人柱みたいにひとり残してきたこと。
気が付けばせっせと絵手紙を送ったり、母の日のブツを送ったりしていた、
一緒に住んでたときは大したことしてこなかったのに。
ジジババと父はともかく、オカンはそれほど毒親ではないということも刺さる。
紙の手紙なんか送ってもゴミだわという毒親はきっと世の中にいるんだろうけど、
「手書きの字に味がある」とかいって電話口で普通に喜んでたのがなんともいえない。
色々オブラートをかけていたけど、正直、会いたいのかもしれない。
会いたいと思っても連休そんなに取れなくなってきたことが引っかかっているのかもしれない。
旅行先のホテルを取りやめて進路を変えようかとも一瞬考えた。
一瞬で終わったけど。まぁうん。遊び人ですから。
感情がボーンと動くのはもしかするとむしろ良い傾向かもしれないし。
これからもできるだけそこそこ元気で自由に生きれればいいと思うけど。
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