いったん実家に帰ってみた哀しみ
実家行く前に、紫陽花見に行ったり菖蒲を見に行ったりもしたんですが
それは趣味側のブログであとで書きます。(他にも書いてない公園ありそう…)
去年の最後に実家行ったのが、たしか12月28日ぐらいで、
そのときは引っ越して1ヶ月後ぐらいでした。
まだ大きな変化はなかった。
でも今回の、12月末から6月中旬までの半年の間に、
オカンは杖つきになっていた。
前々から足腰しんどい状態だったけど、半年前は普通に歩いていた。
おいらを会社に送り迎えするような車の運転の用事もなくなり、
近所に住んでる母の妹(おいらの叔母さん)が
ちゃっちゃと雑用を頼まれてほとんどをやっているので、
歩くという行為を以前にも増してしなくなったので衰えたっぽい感じ。
ただ杖になっても、認知症の婆さまの食事の面倒を見て、
階段の昇り降りとかを超スローだが普通にやっていた。
車も「久々だから心配」と言いつつも結構普通に運転できていた。
なんか、さすがに悲しくなった。
婆さまにおいらの存在が忘れ去られていないことは意外だったが
(ただかなり若い設定・たぶん高校生ぐらいになっていた)
オカンに対する理不尽は日に日に増しているし、
自分の土地ではないご近所の草むしりを勝手にやらかしたり
鍵を閉めずに家を出たり、ということを繰り返している。
「すぐ戻ってくるから待ってて」と言っても数分後に忘れるので
気づくと庭に出ては何かやらかしている。
ジジババのことが落ち着いたら、オカンはこっち側のアパートに来たほうが
少しは平穏になるのでは、と思ったりしてた(おいらが苛立つかもしれないが)
本人もしばらくはちゃっかり「そう考えていた」とのことだったが、
「杖になってしまったからやっぱり無理かも」と言っていた。
「外では車椅子にしておいらが押せばどこでも行けるんじゃないの」と言ってみたが
対応してない場所もあるだろうし、時間に追われる電車社会で
正直きついかしらという予想も拭えない。
そして彼女が完全に歩けなくなったら、それこそ介護生活が始まるので
今と同じリズムで14時間仕事したりとかはまずできなくなるだろうし
へたしたら辞めたり再開が難しくなったりすることも考えられる。
なんか ただただやるせない。
ベッドはずっと使ってたベッドなので寝心地は良かったが、
リビングでは精神的にザワザワしまくって、1週間も過ごせるような場所ではなかった。
本当に一泊で十分だった。
逆に「今までここに住んでたの?」というやばい感じ。
だからこそ出て行ったんじゃん、というのはごもっともだけど
そこで不自由なオカンが人柱になってることにはやっぱり正直、泣ける。
他のどの家族とも親戚とも仲良くなかったけど
オカンとは喧嘩したり文句言いつつも後腐れ残らない相性で、べつに悪くなかった。
父親やジジババはともかく、彼女のことは幸せにしてやるべきだったと度々思うけれど
どうしたらいいのかわからないや。悲しい。
ババがあの感じになる前は、よく2人でドライブに行ったんだよなぁと思い出してしまう。
新幹線から見える景色を見て、あのあたりにも行ったよなぁ、と。
でももう「足腰悪い、トイレ近い、でも他所のトイレはできれば使いたくない」ってなってる
状態だから、こんぐらいの長距離を2人で行くのはもうきっと無理なんだろうな、と思って。
断片的な綺麗な思い出だけが、もう二度と過ごせないものとして美化されて
高速で車窓の後ろに吹き飛ばされていく。
「今度くるとき使うから」って現地で買ったバスタオルを敢えて置いてきたけど
次にいつ行きたくなるのか正直よくわからない。
でもオカンにだけは会いたい。
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