なぜ大事にされたがるのか
ひとりで行動する折、「大事にされることに飢えてんのかな」と感じることがあります。
べつに親から直接的な虐待を受けたこともなく、
母にも彼氏にも精神的には大事にされてるであろう現状はわかってる。
だけど時々、知り合いでもなんでもない第3者からの扱いに傷つく機会が多いことに気づいた。
ひとりで外食したりするのが苦手なのは、単に芋だから恥ずかしいという以上に、
「気分転換したくて行ったはずなのに逆に傷つく確率が高い」という恐れからきてんのかな、
と思うようになりました。
たとえば、私が定員という立場だったときは、
Aさんという別の店員と私が、似たような箇所で並んで忙しそうに仕事をしてるとして、
お客が質問や要望を出す時は、まず私に声が掛かります。
明らかに、不慣れで頭悪そうな雰囲気が出ているにも関わらず、他の誰かではなく、私に声かける。
これは正直「忙しい仕事を中断させても怒らなさそう」と思われるからだと解釈してます。
しかし私は不慣れな雰囲気が出てるときは実際に不慣れなので、
結局お客に質問されたことをA店員やB店員などに聞きまわる作業が発生するので、二度手間です。
その二度手間にかかる時間を差し置いても、「怖くなさそうな人に言おう」という選別を受ける。
これだけなら、まぁ、そんなに悪いことでもないかもしれないけれど、
「怖くなさそう」というのは、言い換えればナメられやすいということであって。
質問だけならいいけれど、酔っ払いのお客に絡まれたのも自分だったし。
そのナメられやすい女が単独で行動するときって、
「こいつは大事にしなくてもいい奴」って気軽に思われてしまうんじゃないか、と。
店員ではなく客の立場になったときも不快事例は発生するし、払ってる金額にもあまり比例しない。
(身なりが雑だからそれで判断されるのかもしれんが)
外歩くときだけじゃなくて、仕事してても
「なんでこんなに大事にされないんだろう?」っていう疑問符を高頻度で抱えるので
わりと色んな場面でそう思われがちなんだろうとは感じます。
だから、なんとなく店には親と入ったり彼氏と入ったりするほうが心理的にラクだった。
甘えなんだろうけど、その甘えをやめるにはどうしたらいい。
ぶっちゃけ、ひとりで行動しにくいのが自分でもわりと不便です。
どうにかしてバリっとした服きて、髪型の勉強して、苦手な化粧をして、
釣り目の顔みたいな近寄りがたい雰囲気を出さなきゃいけないのだろうか。
そもそも、私自身が拒絶されるのを嫌がっているのに、
人を拒絶しそうな雰囲気なんて出せるんだろうか。
私自身が怒られるのを嫌がってるのに、
いかにもクレーム言いそうな雰囲気とか出せるんだろうか。
それを考えてたらなんか辛くなってしまった。
そこまでして、たまにしか関わりがないかもしれない人々に、大事にされなきゃいけないんだろうか。
なんでそう思うのだろうか。
この思考の行き過ぎた人間がアキバで人を轢いたりしていたわけで、
そんなふうになりたくないから、できるならばこの感覚そのものを消してしまいたいけれど
どうしたらいいんだろうなぁ。
0コメント